清貧農民・杉山あきら 国会への道㊿ 「今だけ、金だけ、自分だけ」

前回、前々回のブログに関連するが、経済格差をただす方策の一つとして、僕は「ベーシックインカム(BI)」にも注目している。
生活していく基礎が確立することで生まれる安心感は、人間の意識を大きく良い方向に変えていく可能性があると思う。
食いつなぐためだけに不本意な仕事に就くことがなくなり、自由感、積極性、創造性が開花し、好きなことを通じての社会貢献という意識も生まれてくる予感がある。
よく言われる「BIは人を怠けものにする」という意見も、実験的な試みの中で退けられつつあるようだ(小規模な実践例が多く、まだ確証はないが)。
問題はむしろ、その財源をどうするかだ。
竹中平蔵氏が提唱したような「月7万円を与える。その代わり年金も国保も無し」、ある程度のお金を渡せば後は自己責任で、
国が雇用対策や社会保障制度への責任を放棄するという「新自由主義的な形」ではなく、
社会保障も維持した上でやりたい。
月7万円の支給には、年間100兆円ほどが必要なのだが、これを可能にしていくためには、大企業や富裕層のような巨額の資金を貯めこんでいるところの協力が欲しい。
全面的な協力が無理なら、法人税を上げていくとか、賃上げをさせていくなどして、庶民との格差を縮めていく措置が必要だ。
だが、先日(1月19日)経団連の副会長が春闘の指針となる報告をして、「コロナで先行き大変なので、ベースアップは困難」だと述べた。
本当にがっかりさせる。
社会が明るく活性化していくことが、自社にもプラスになっていくという考え方はできないものなのか。
庶民こそが消費者(お客さん)でもあるのだから。
近視眼的な見方(「今だけ、金だけ、自分だけ」)では、これからの社会は救えない。

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