僕は当時、障害児の学童施設に音楽ボランティアとして週2回通っており、「ギターのお兄さん」みたいなことをしていた。
そこの施設長さんから「あおい」のことを聞いていた。
「学生時代はワンダーフォーゲル部でずっと山ばっかり登ってた娘さんで、卒業して高田馬場の登山用品店に勤めてたんだけど、ビルの中のショップにいるのが耐えられないとか言ってやめちゃってねぇ。今は、農業やりながら自給生活したいなんて言ってるんだって。でも農業なんてカンタンなもんじゃないでしょ?杉山さんから諭してやってくれない?」
「わかりました。僕からビシっと言ってやりましょう!」
みたいな話があり、会うこととなった。
なんとも頑強そうな女性。「山のテント泊?そりゃ楽しいよー!行ってみる?」などと実に気やすい。農業にも純粋な興味が感じられ、うちの芋掘りにも喜んで手伝いに来た。
ビシっと諭すつもりが、次第に二人で盛り上がってきてしまい、「いっしょに農業やろう!」というムードになってしまったのだ。
このころは、耕作放棄地を見つけると、すぐに「白菜に良さそうだな、借りられないかな」などと考えるようになっていた。
やがて「どこか新天地を探して、一からやるんだ!」と、いろいろ物色し始めた。
秩父方面には何度も足を運んだが、どうも風景に違和感があった。僕が考える理想の「ふるさと」は、例えば漫画家の矢口高雄さんが描くような山里だった。
埼玉県外に視野を広げ始めてからは、田舎暮らし系の雑誌をよく見るようになった。ある日、ちょうど発売日だった「田舎暮らしの本」という雑誌を手に取ると、膨大な岩手・山形の物件に交じって、めったに出ない秋田県の物件が出ていた。
0コメント