物件を確認しそのまま増田町の方へ降りてくると、国道脇に「釣りキチ三平の里」という看板があるではないか!
僕は図らずも矢口高雄先生のおひざ元に来ていたのだ。これはもう「運命的」と考えるしかない!どうしてもあの物件が借りたくなった。
1週間ほどして持ち主から大宮に電話があった。言葉が分かりにくかったが、「あの家には全国から100軒ほどの応募があった。が、ほとんどが退職後の第2の人生に住みたいという人たちだった。あそこは実はかなり雪も降るので、年寄ではきつい。あなたが応募者の中で一番若かった(33歳だった)ので、あなたに貸そうと思う」ということを言っているようだった。
やった!新天地が確定した!
そこからは一気に事が進んだ。10月3日を引っ越しの日と決め、その2日前にあおいと入籍した。
予想外にあおいの両親からの反対はなく、逆にとても面白がってくれた。「そっちには赤旗祭りで知り合った(川連)漆器の職人さんがいるから、連絡しなさい」などと言ってくれた。
軽ワゴンにコシヒカリ1袋とキャンプ用具と鶏28羽をむりやり詰め込んで出発した。その日、大宮はまだかなり暑かったので二人とも半そで・半ズボン。
鶏たちは走行中は意外と静かにしていた。
東北に入るとドンドン寒くなってきて、薄着の服装を後悔した。
村の新居に到着すると、まず待ち受けていたのは駐在さんだった。どうやら僕らを、この当時、各地に散って潜伏したといわれる「オウム真理教」の一味と疑っているようだった。(つづく)
知事選の応援は、また前日と同じメンバーで続けられた。
この日は朝8時からびっしりのスケジュール。早朝に演説原稿を修正し、車内でボソボソと練習する。
しかもこの日は雨天なので大変だ。窓を開けると車内に雨が吹き込んでくる。白い手袋がすぐびしょ濡れになった。
あいばさんの農業政策で「小規模・家族農業も大事にし、有機・無農薬栽培に挑戦する人にも援助を」とある。こういうところが違うんだ!
女性、若者、障がい者や中小の経営、こういう小さいところや社会的弱者へのまなざしこそが、経済効率優先の他候補と決定的に違っている。
東成瀬から、稲川,皆瀬、湯沢、羽後、平鹿、横手という強行スケジュールの街宣の中で、農業、人口減少対策などの方向性が、かなり自分の中ではっきりしてきた気がした。
加賀谷県議の演説の中に良いヒントがたくさんあった。
夜になると僕の声はすっかりつぶれていた。ペース配分がなっていない。
明日のラジオは歌うのはよそう・・・。
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