88年にRCサクセションの忌野清志郎が「ラブ. ミー. テンダー」の替え歌で反原発を歌い出したとき、僕は正直言ってこの問題についてまだよくはわかっていなかった。
この歌は発売禁止となり、世間の援護射撃も今ほどはなかったという印象だ。
その後も彼は反原発、反政府的な歌をリリースし続けた。僕はレコードを買い続け、痛快に感じてはいたが、「原発ってそんなに危ないのかねー」くらいの意識だった。
秋田に移住してから、原発の学習会に参加するようになり、問題点がわかるようになったが、相手があまりにも巨大だし、原発は必要という雰囲気が国内にかなり作られてしまっていて、困難な分野だなという印象だった。
「キヨシローも大変なものとの闘いを始めたもんだ!」と思っている内に、09年、彼は亡くなってしまう。
ジョン レノンの死に匹敵するショックを受けた。
その2年後、「原発から出る廃棄物を秋田の地下に埋めるとしたら」というテーマの学習会があり参加したら、東大教授やNUMOの職員の話を聴かされ続け、最後には150人ほどの参加者の8割ほどが埋設処分に賛成になるということがあった。
大がかりな集団洗脳のようだった。
参加者には交通費、手間賃、昼食がでるというリッチな会。こりゃ、財力的にも太刀打ちできない相手だぞ、と思ったものだった。
が、その会の約一週間後の3月11日にあの原発事故があり、原発に対する世論が劇的に変わったのだ。
学習会の名目上の主催団体だった市民グループのホームページは消え失せてしまっていた。
キヨシローのやってきたことの再評価が始まった!
「メルトダウン」という歌まで作っていた彼の先見性が認められ、予言者のようだと言われた。
僕もようやく彼の本当のすごさが分かってきた。
ジョンの「イマジン」を歌う前に「憲法9条を知ってるかい?まるでこの歌みたいじゃないか!」と言っていたキヨシロー。
そういえば、選挙のときのインタビューで「僕はずっと小選挙区も比例も共産党に入れてます」と語っていたっけ。
ホントだぜ!スゲーだろ?(キヨシロー風)
0コメント